2011年3月21日月曜日

感覚派

人間を視覚ではなく触覚でイメージすると下の様になる。(※図1参照)


これは、体表面の各領域が体性感覚皮質で不平等に表現されていることを示しています。

舌、唇、顔、そして手の指が、実際の体表面の面積より大脳皮質でははるかに大きく(重要なものとして)再現されています。








図1










はい。


俺です。


感覚で生きてます。



2011年3月20日日曜日

己の下手を知りて一歩

ご無沙汰しております。

何も手につかず、頭でっかちになっていた自分への警笛です。

東日本大震災で、多くの方が大変な状況にある中で、「自分には何が出来るだろう」が一番頭から離れないテーマだった。

考え出したら「何も出来ない自分」がたくさん出てきた。

どれだけ無駄を繰り返してきたか。

どれだけ人に寄り添うことをしてこなかったか。

どれだけ真剣にかんがえてこなかったか。

どれだけ自分が出来てるつもりだったか。

大切な人にきちんと思いを伝えていたか。

今のままの自分で100%好きだって言えるか?

醜い忌むべき自分が顔を覗かせて笑ってる。

「お前はこんなもんだ」

「何回も同じことを繰り返すんだ」

って。

心底変わりたいんだよ。

人を助けられる、強い人間になりたいんだよ。


約束を守れる人。

意見を言える人。

援助をする人。

話を聞ける人。

節電する人。

家でご飯を作る人。

子供を大切にする人。

反論を恐れず情報を発する人。

最前線で命かけて作業する人。

車乗るの控える人。

笑おうとする人。

掃除する人。

音出す人。

仕事する人。

西へ逃げる人。

反論する人。

外国のメディアと救援隊。



まだまだあるけど、あたりまえのことをあたりまえにするってことが、どれだけ難しくて皆してないことなのかってことにようやく気付いたよ。

俺はまだ、人を助けるには値しない。

でも、助けたい。

立派なことは出来ないから、あたりまえのことを一つずつやっていこう。


月がとても綺麗です。

おやすみなさい。

2011年1月18日火曜日

石鹸とわたし

去年の年末に俺の体に異変が起こった!


体が痒い!


皮膚が意外とデリケート(外見からは想像しがたいかもしれないが)ではあるが初めての経験だった。

以前は脂っこいものが好きだったから吹き出物君が結構出たりしたけど、今回はそんな類のもんじゃなかった。

体の体表をもう一枚上に覆われたような感覚。

掻いてもその内部が痒いみたいな。

掻きむしると変な汁まで出てくる始末さ。

上半身全部と下半身は特に内腿。

オマタの付け根まで大変なことに!!


これは一体何の試練だ?!


何かの病気か?

しかしこの案件はデリケートな部分の異変の為、後ろめたいことがなにもないのに、最愛の妻への「ホウレンソウ」を怠っていた。

「ホウレンソウ」とはもちろん「報告、連絡、相談」だ。

しかしある日更なる悲劇が俺を襲った!

デリケートゾーンの変な汁が異臭を放ち始めたのだ。

痒みも相変わらず続く。

異臭の破壊力が俺の鉄の意思を粉々に砕いた。

ここで初めて妻に報告。

この間2週間。

「なんかのアレルギー症状っぽいね」ってことで嫌々皮膚科のお世話になることに。

案の上医者は、

「はい。アレルギーですね。じゃあ薬出しておきますね~。」だ。

俺は一刻も早く、股間をもじもじさせている気持ち中性的な自分から、堂々と風を切って歩く男の中の男であるところの自分に戻りたかった。

切実だった。

俺は勇気をふりしぼって恥ずかしながら小さな声で、しかしはっきりと言った。




「オマ、オマタが痒いんです。」





「へ、変な病気じゃないか調べてもらえませんか?」




俺は大胆にそれでいて鮮やかに下着を降ろした。

完璧なその所作に無駄はなかった。

が、

間髪入れずに医者が言った。

「あっ!別に脱がなくても調べられま「脱ぎ損じゃねぇかよ!!」

俺は心の中で若干食い気味で叫びながら、患部の皮膚を顕微鏡で調べる医師の返事を待った。

「細菌でもカビでもないですね。」

「何かのアレルギー症状ですね。」

その何かには一切触れることなく医者は話を終えた。


事件発生から2週間と1日、俺はその「何か」を探す旅に出た。

2週間前に急に発生した痒み。

どうもその辺が怪しいぞ。

俺は2週間前の自分の行動に普段とは違った「何か」がなかったか思いを馳せた。

ここで俺はあることに気付いた。

「原因は悪いと思われるものではなく良いと思われるものだったんじゃないか?」

「あ。」

俺は浴室に急いだ。

発想の転換で俺はついにその「何か」を探し当てた。

俺はそいつを荒々しく手に取り、握りしめながら大声で叫んだ。




「犯人はお前だ~!!!!!!!!」




俺の手の中で田中邦衛ばりに顔を歪めたヨモギ石鹸が黙って頷いた。


それから2週間後、そこには全裸で堂々と歩きまわる自信に満ち溢れた俺の姿があった。

そう。あれから俺は石鹸をいつもの無添加石鹸に戻したのだった。


妻が肌にイイと言って買ってきて使っていたヨモギ石鹸。

確かに妻には良かった。

しかしそれが俺にもイイとは限らない。


俺は思う。


誰もが良いと思えるものなんて無い。

世間でいう良いものが自分にフィットするとは限らない。

じゃあ自分に合うものを選べばいい。

価値基準なんてそんなもんだ。

2011年1月15日土曜日

怒りのランボー

随分久しぶりですが戦ってます。

以下は妻のブログへのコメント。

「傍観」や「保身」だらけの現代社会へのアンチテーゼ。

http://maiko-akutagawa.blogspot.com/2011/01/blog-post_13.html


こんにちは。身近な者として書かせて頂きます。




一に舞子は上から目線でも、怒りをぶつけているのでも、頑張りすぎて迷走してる訳でもありません。



大勢の者の為に頑張って見えなくなって麻痺してしまった自分自身への愛情を再度確認する作業を苦しみながら行っている最中です。

とても辛そうです。

よほどの勇気と行動力と根気がなけりゃ出来ない作業だと思います。



自分に余裕のある人が相手の立場に立って意見を言ってあげればいいのに、自分で精一杯の舞子に随分多くを求める方がいる現実。



舞子は反発しているのではなく(表現が足らない部分はあるかもしれないけど)、今の自分は上記のようなコメントで癒されなかったという事実を、相手に誠意を持って勇気をもって伝えただけ。



書いた方も実際「そんなつもりじゃなかった。」はずです。



でも、癒されず悲しむ人がいる事実。



もし泣いている子供が目の前にいたら皆さんはどうするか?



抱きしめて話を聞いて同じ目線で共感してあげるだろう。

そうでないにしても「どうしたの?」って理由位は聞くんじゃないか。



その子供に「泣くな!お前は自分を何様だと思ってる!」なんて言う人はいない。



いないのに!



だ。



大人には平気でやってのけるんだよ。みんな。



大人は我慢すべきで人に嫌な思いを抱かせず予定調和で生きなきゃならないのか。



大人も子供も変わらないだろ!



愛情は「受け取る」ことだろ。

どんな理不尽な理由だろうが、その気持ちを「受け取って」もらったときの喜びって言ったら天にも昇るよ。



その大事な過程をすっ飛ばして相手に「伝えよう」とすること自体、内容がどうであれそんなものは全部「条件付きの愛情」だ!



自分に都合が良ければ「天使」のように扱って、少しでも都合が悪いと感じれば「怪物」でも見るかのように貶すんだよ。



俺は舞子の気持ちを推し量るに、「助けを求めている。」んだよ。

上から物申すんでも、イライラをぶつけている訳でもなく、誰かれ構わず苦悩を聞いてほしいんだよ。



そんなの家族だけでやればいいじゃんって言われるだろうから先に言うけど、家族で出来てるからこそ社会や世界にもって思う訳で、家族に聞いてもらえないからとかじゃないんだよ。まったくもって。



少なくとも今は。



以前は俺もまったくもって分からなかった。



だから相手に求めて、周りに求めて多くのものの自由を奪ってきたことも事実。



そんな自分がまるで別人のように変化出来たのも舞子のお陰だ。



彼女はそうやって「マザーテレサ」のように何年もかけて、決してあきらめずに俺に愛を伝えてくれたんです。

彼女は本当に愛に基づいていて少なくとも俺には伝わり、現実社会で結果として人生が変わったんだ。



だから俺はこの記事に対する肯定的な意見も否定的な意見も両方分かるんだ。



それでもあえて言わせてもらう。



俺の家族に「条件付きの愛」を押し付け、「綺麗なヨガインストラクター」であることを強要し、「弱音を吐くことも許さない」のなら俺が全力で守ります。



己を見つめることをしていないのが誰なのかは火を見るより明らかだ。



己を知れ。



舞子が本当は「助けを求めていること」に理性ではなく感覚で今生で気付いたなら、誰よりも一番自分でその苦しみを味わうことになる。



それなりに成功を収めているヨガの先生に意見を言うくらい余裕があって愛に満ちているなら、まず「受け入れて」みたらどうだろう。あなた達の意見はより彼女に伝わるんじゃないだろうか。



世の中の大半がこのブログを読んで眉をひそめるんだろうけど、数は力じゃない。



力は意思だ!



アンチヨガのインストラクターって凄い素敵な異端児じゃん。



そんな異端を魔女狩りのように扱う土壌が蔓延しているこの現代社会こそバビロンだってーの。



もう少しすりゃ嫌でも結果として表れるよ。



俺は愛に基づいた異端と呼ばれる「人間」を心の底から応援して止まない。

2010年11月12日金曜日

週末は地元でね☆

こんにちは☆ユージです。

最近また更新出来ずに今日にいたる訳ですが、皆さん如何お過ごしでしょうか?

俺は凛ちゃんの幼稚園の入試やら、アナログリリースやら、引越しの準備やら、ライブやら仕事やらパパ業やら。。。

まあ、のんびり過ごしておりました。

で、実は今週の土曜に地元柏でJariBu Afrobeat Arkestraのライブがあるんですが、自分で告知する前に舞子にされてしまいました。

さすがと申しますか出来た嫁です。

毎日が感謝の連続雨霰。

と言う訳でこちら↓

http://maiko-akutagawa.blogspot.com/2010/11/live.html

野外フェス総ナメのこのメンツは見るべし!!!

2010年10月30日土曜日

10/31 は台風じゃなくて代官山LOOP





AfroSoundSystem Vol.6

~JariBu Afrobeat Arkestra『Legend of Yoruba』 ReleaseParty~



2010年10月31日(日)

時間:OPEN/START 16:00

会場:代官山 LOOP

〒150-0035 東京都渋谷区鉢山町13-12 B1




■チケット:

..¥3,000/1D

..¥3,500/1D





【LIVE】

JariBu Afrobeat Arkestra

REGGAELATION INDEPENDANCE

Wood Solid Dance Jam

Zungooca(田中慶一(Ds、KINGDOM☆AFROCKS)+コイケ龍一(ムビラ、ムビラトロン他))



【DJ】

黒田大介 (Kickin')

四丁目(黒船音頭)

DJ Mitsugu aka ミック(AfroStyle)



【FOOD】

スパイス料理 田中屋

意思だろ。意思。

素晴らしきこの世界。

美しきこの世界は今不思議な世界になってしまった。

遺伝子組み換え作物をジャンジャン輸出するアメリカ。

考えなしにガンガン輸入する我らが日本。

アメリカのある会社は、自生しないように種の無い作物を作っては売り、ご丁寧にそうした組み換え種一種一種に合った薬品まである。

自分たちの利益のためにね。

日本の制度にはそんな「アメリカの利益」の為のシステムがたくさんある。

貨幣制度自体がバビロンであるため、必ず利害が発生するのが前提ではあるけれど、俺たちは何も知らずに何も考えずに消費、選択することに責任の重さを感じずにはいられない。

何か大きな敵に立ち向かうとき。

数で圧倒的に勝る敵に立ち向かうとき。

世の中を変えようとするとき。

必要なのは数ではない。

数は力か?

否、力は確固たる意志に基づいたもの。

以前日本のある政治家が「数は力だ!」なんて言ってたけど、可笑しいよね。

政治にしても運動にしても何に付けても数を恃む。

デモだってそうだ。

一見大きな流れに見えるけど中身はハリボテ。

「俺はこう思うぞ!」と言えない匿名希望の群。

色んな思いの交錯する思想の坩堝。

そんな思いが一つの方向に進むはずもなく空中分解。

俺はここでマザー・テレサとチェ・ゲバラを思い出す。

彼らは全く正反対に見えるけど、実践と人間愛に基づいた理念には一貫性がある。

マザー・テレサは世界平和の実現の第一歩は「家に帰って家族を大切にすること」だと教えてくれる。

一方、チェ・ゲバラは革命の実現には「民衆の一人一人の勝利への意思が不可欠」と話す。

両者に共通して言えるのは、身近なもの一人一人から確実な変化を促すことだ。

身近な一人一人に愛を伝えることだ。

オルターナティブに人間の生活作用に合わせてじわじわと自発的に変化する。

それは完全に独立した意思によるうねりとなって世界を動かす。

数が増えてもそれは一つの愛に向かう意思だ。

共通意識。

Oneness

民衆の海でゲリラ戦を。

何を為すにも最初はいつだって一人からさ。

匿名に紛れるな。

大義名分って仮面をとったら無秩序が笑ってる。

与えられた秩序は反対勢力を生むけど、自発的な秩序にそもそも敵はいない。