2011年1月18日火曜日

石鹸とわたし

去年の年末に俺の体に異変が起こった!


体が痒い!


皮膚が意外とデリケート(外見からは想像しがたいかもしれないが)ではあるが初めての経験だった。

以前は脂っこいものが好きだったから吹き出物君が結構出たりしたけど、今回はそんな類のもんじゃなかった。

体の体表をもう一枚上に覆われたような感覚。

掻いてもその内部が痒いみたいな。

掻きむしると変な汁まで出てくる始末さ。

上半身全部と下半身は特に内腿。

オマタの付け根まで大変なことに!!


これは一体何の試練だ?!


何かの病気か?

しかしこの案件はデリケートな部分の異変の為、後ろめたいことがなにもないのに、最愛の妻への「ホウレンソウ」を怠っていた。

「ホウレンソウ」とはもちろん「報告、連絡、相談」だ。

しかしある日更なる悲劇が俺を襲った!

デリケートゾーンの変な汁が異臭を放ち始めたのだ。

痒みも相変わらず続く。

異臭の破壊力が俺の鉄の意思を粉々に砕いた。

ここで初めて妻に報告。

この間2週間。

「なんかのアレルギー症状っぽいね」ってことで嫌々皮膚科のお世話になることに。

案の上医者は、

「はい。アレルギーですね。じゃあ薬出しておきますね~。」だ。

俺は一刻も早く、股間をもじもじさせている気持ち中性的な自分から、堂々と風を切って歩く男の中の男であるところの自分に戻りたかった。

切実だった。

俺は勇気をふりしぼって恥ずかしながら小さな声で、しかしはっきりと言った。




「オマ、オマタが痒いんです。」





「へ、変な病気じゃないか調べてもらえませんか?」




俺は大胆にそれでいて鮮やかに下着を降ろした。

完璧なその所作に無駄はなかった。

が、

間髪入れずに医者が言った。

「あっ!別に脱がなくても調べられま「脱ぎ損じゃねぇかよ!!」

俺は心の中で若干食い気味で叫びながら、患部の皮膚を顕微鏡で調べる医師の返事を待った。

「細菌でもカビでもないですね。」

「何かのアレルギー症状ですね。」

その何かには一切触れることなく医者は話を終えた。


事件発生から2週間と1日、俺はその「何か」を探す旅に出た。

2週間前に急に発生した痒み。

どうもその辺が怪しいぞ。

俺は2週間前の自分の行動に普段とは違った「何か」がなかったか思いを馳せた。

ここで俺はあることに気付いた。

「原因は悪いと思われるものではなく良いと思われるものだったんじゃないか?」

「あ。」

俺は浴室に急いだ。

発想の転換で俺はついにその「何か」を探し当てた。

俺はそいつを荒々しく手に取り、握りしめながら大声で叫んだ。




「犯人はお前だ~!!!!!!!!」




俺の手の中で田中邦衛ばりに顔を歪めたヨモギ石鹸が黙って頷いた。


それから2週間後、そこには全裸で堂々と歩きまわる自信に満ち溢れた俺の姿があった。

そう。あれから俺は石鹸をいつもの無添加石鹸に戻したのだった。


妻が肌にイイと言って買ってきて使っていたヨモギ石鹸

確かに妻には良かった。

しかしそれが俺にもイイとは限らない。


俺は思う。


誰もが良いと思えるものなんて無い。

世間でいう良いものが自分にフィットするとは限らない。

じゃあ自分に合うものを選べばいい。

価値基準なんてそんなもんだ。

2011年1月15日土曜日

怒りのランボー

随分久しぶりですが戦ってます。

以下は妻のブログへのコメント。

「傍観」や「保身」だらけの現代社会へのアンチテーゼ。

http://maiko-akutagawa.blogspot.com/2011/01/blog-post_13.html


こんにちは。身近な者として書かせて頂きます。




一に舞子は上から目線でも、怒りをぶつけているのでも、頑張りすぎて迷走してる訳でもありません。



大勢の者の為に頑張って見えなくなって麻痺してしまった自分自身への愛情を再度確認する作業を苦しみながら行っている最中です。

とても辛そうです。

よほどの勇気と行動力と根気がなけりゃ出来ない作業だと思います。



自分に余裕のある人が相手の立場に立って意見を言ってあげればいいのに、自分で精一杯の舞子に随分多くを求める方がいる現実。



舞子は反発しているのではなく(表現が足らない部分はあるかもしれないけど)、今の自分は上記のようなコメントで癒されなかったという事実を、相手に誠意を持って勇気をもって伝えただけ。



書いた方も実際「そんなつもりじゃなかった。」はずです。



でも、癒されず悲しむ人がいる事実。



もし泣いている子供が目の前にいたら皆さんはどうするか?



抱きしめて話を聞いて同じ目線で共感してあげるだろう。

そうでないにしても「どうしたの?」って理由位は聞くんじゃないか。



その子供に「泣くな!お前は自分を何様だと思ってる!」なんて言う人はいない。



いないのに!



だ。



大人には平気でやってのけるんだよ。みんな。



大人は我慢すべきで人に嫌な思いを抱かせず予定調和で生きなきゃならないのか。



大人も子供も変わらないだろ!



愛情は「受け取る」ことだろ。

どんな理不尽な理由だろうが、その気持ちを「受け取って」もらったときの喜びって言ったら天にも昇るよ。



その大事な過程をすっ飛ばして相手に「伝えよう」とすること自体、内容がどうであれそんなものは全部「条件付きの愛情」だ!



自分に都合が良ければ「天使」のように扱って、少しでも都合が悪いと感じれば「怪物」でも見るかのように貶すんだよ。



俺は舞子の気持ちを推し量るに、「助けを求めている。」んだよ。

上から物申すんでも、イライラをぶつけている訳でもなく、誰かれ構わず苦悩を聞いてほしいんだよ。



そんなの家族だけでやればいいじゃんって言われるだろうから先に言うけど、家族で出来てるからこそ社会や世界にもって思う訳で、家族に聞いてもらえないからとかじゃないんだよ。まったくもって。



少なくとも今は。



以前は俺もまったくもって分からなかった。



だから相手に求めて、周りに求めて多くのものの自由を奪ってきたことも事実。



そんな自分がまるで別人のように変化出来たのも舞子のお陰だ。



彼女はそうやって「マザーテレサ」のように何年もかけて、決してあきらめずに俺に愛を伝えてくれたんです。

彼女は本当に愛に基づいていて少なくとも俺には伝わり、現実社会で結果として人生が変わったんだ。



だから俺はこの記事に対する肯定的な意見も否定的な意見も両方分かるんだ。



それでもあえて言わせてもらう。



俺の家族に「条件付きの愛」を押し付け、「綺麗なヨガインストラクター」であることを強要し、「弱音を吐くことも許さない」のなら俺が全力で守ります。



己を見つめることをしていないのが誰なのかは火を見るより明らかだ。



己を知れ。



舞子が本当は「助けを求めていること」に理性ではなく感覚で今生で気付いたなら、誰よりも一番自分でその苦しみを味わうことになる。



それなりに成功を収めているヨガの先生に意見を言うくらい余裕があって愛に満ちているなら、まず「受け入れて」みたらどうだろう。あなた達の意見はより彼女に伝わるんじゃないだろうか。



世の中の大半がこのブログを読んで眉をひそめるんだろうけど、数は力じゃない。



力は意思だ!



アンチヨガのインストラクターって凄い素敵な異端児じゃん。



そんな異端を魔女狩りのように扱う土壌が蔓延しているこの現代社会こそバビロンだってーの。



もう少しすりゃ嫌でも結果として表れるよ。



俺は愛に基づいた異端と呼ばれる「人間」を心の底から応援して止まない。