2010年10月30日土曜日

10/31 は台風じゃなくて代官山LOOP





AfroSoundSystem Vol.6

~JariBu Afrobeat Arkestra『Legend of Yoruba』 ReleaseParty~



2010年10月31日(日)

時間:OPEN/START 16:00

会場:代官山 LOOP

〒150-0035 東京都渋谷区鉢山町13-12 B1




■チケット:

..¥3,000/1D

..¥3,500/1D





【LIVE】

JariBu Afrobeat Arkestra

REGGAELATION INDEPENDANCE

Wood Solid Dance Jam

Zungooca(田中慶一(Ds、KINGDOM☆AFROCKS)+コイケ龍一(ムビラ、ムビラトロン他))



【DJ】

黒田大介 (Kickin')

四丁目(黒船音頭)

DJ Mitsugu aka ミック(AfroStyle)



【FOOD】

スパイス料理 田中屋

意思だろ。意思。

素晴らしきこの世界。

美しきこの世界は今不思議な世界になってしまった。

遺伝子組み換え作物をジャンジャン輸出するアメリカ。

考えなしにガンガン輸入する我らが日本。

アメリカのある会社は、自生しないように種の無い作物を作っては売り、ご丁寧にそうした組み換え種一種一種に合った薬品まである。

自分たちの利益のためにね。

日本の制度にはそんな「アメリカの利益」の為のシステムがたくさんある。

貨幣制度自体がバビロンであるため、必ず利害が発生するのが前提ではあるけれど、俺たちは何も知らずに何も考えずに消費、選択することに責任の重さを感じずにはいられない。

何か大きな敵に立ち向かうとき。

数で圧倒的に勝る敵に立ち向かうとき。

世の中を変えようとするとき。

必要なのは数ではない。

数は力か?

否、力は確固たる意志に基づいたもの。

以前日本のある政治家が「数は力だ!」なんて言ってたけど、可笑しいよね。

政治にしても運動にしても何に付けても数を恃む。

デモだってそうだ。

一見大きな流れに見えるけど中身はハリボテ。

「俺はこう思うぞ!」と言えない匿名希望の群。

色んな思いの交錯する思想の坩堝。

そんな思いが一つの方向に進むはずもなく空中分解。

俺はここでマザー・テレサとチェ・ゲバラを思い出す。

彼らは全く正反対に見えるけど、実践と人間愛に基づいた理念には一貫性がある。

マザー・テレサは世界平和の実現の第一歩は「家に帰って家族を大切にすること」だと教えてくれる。

一方、チェ・ゲバラは革命の実現には「民衆の一人一人の勝利への意思が不可欠」と話す。

両者に共通して言えるのは、身近なもの一人一人から確実な変化を促すことだ。

身近な一人一人に愛を伝えることだ。

オルターナティブに人間の生活作用に合わせてじわじわと自発的に変化する。

それは完全に独立した意思によるうねりとなって世界を動かす。

数が増えてもそれは一つの愛に向かう意思だ。

共通意識。

Oneness

民衆の海でゲリラ戦を。

何を為すにも最初はいつだって一人からさ。

匿名に紛れるな。

大義名分って仮面をとったら無秩序が笑ってる。

与えられた秩序は反対勢力を生むけど、自発的な秩序にそもそも敵はいない。

2010年10月19日火曜日

上関原発

JariBuのツヨシがリツィートしてくれた上関原発について。

転載歓迎ということで掲載させて頂きます。

ぜひ、お読みいただければ幸いです。


俺たちに出来ることはたくさんある。

知ることだけでも意識は変わる。

意識が変われば行動が変わるんだ。
以下引用。



上関原発について



 拝啓 このたびは、山口県上関町に中国電力によって建設されようとしている上関原発についてお伝えしたく、筆を執りました。



 結論から申せば、上関原発は瀬戸内海全体の死滅をもたらすものです。



 原発は、生じるエネルギーの三分の一しか電力に変えることができず、残りの三分の二は海水で冷やさなければなりません。つまり「原子力発電所」ではなく、「海水温め装置」です。取り込んだ海水よりも7℃高い、塩素処理された海水が、昼も夜も流されるのです。現在日本の全ての原発の温排水の量は、年間750億トン、これは全河川の流量の五分の一に当ります。



 上関には、137.3万キロワットの、国内最大級の原発が二基建設予定です。毎秒190トンの膨大な温排水が流れ続けます。広島県の太田川は年間水量の平均が毎秒80トンですから、上関には太田川のような流れが2つ以上できることになります。取り込まれた海水の中にいる魚の卵やプランクトンなどは、ほとんどが死んでしまいます。



 瀬戸内海は、水深が平均38メートルの浅い海であり、海水が入れかわるのに一年半もかかる閉鎖的な内海です。上関は九州と四国と本州の境にあり、太平洋の黒潮が入ってくる要所に当ります。そこに「海水温め装置」が建設されたら、周防灘だけでなく瀬戸内海全体が大きく影響を受け、生態系も変わってしまいます。広島のカキや海産物にも、大変な被害が予想されます。



 NHKの朝のドラマ『鳩子の海』で紹介された上関周辺は、瀬戸内海に残された美しい海です。建設予定地の田ノ浦は、体長2メートル弱の小型のクジラ「スナメリ」の瀬戸内海最大の繁殖地であり、国の天然記念物カンムリウミスズメなどが住む、世界遺産ともいうべき貴重な環境ホットスポットです。この場所が埋め立てられたら、ナメクジウオやヤシマイシン近似種など、希少な生物が生きる環境を奪われてしまいます。数億年かけて、今の姿になりました。それが人間の欲望によってひとたび絶滅すると、その種は二度と生き返ることはありません。



 今年の10月には、生物多様性条約 第十回締約会議(COP10)が、名古屋で開催されます。議長国である日本が、この瀬戸内海の豊かな生物多様性の環境を破壊してもいいのでしょうか。

さらに、その場所は『伊予灘および日向灘周辺地震特定地域』に当る、地震の多発地帯です。文科省は、海底活断層の最初の調査地として、すぐ西の岩国活断層を指定しました。立地にふさわしい場所とは思えません。地震によって原発が壊れたら、80キロしか離れていないヒロシマは、二度目の被爆地になります。少なくとも西日本は人が住むことができないでしょう。



 原発は、二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーであると宣伝されています。しかしそれは運転するときに出さないというだけで、実際はウランの採掘、精選の過程や、運転後の廃炉や放射能のゴミを管理する中で、大量のCO2が出ます。さらに膨大な温排水は、海水に溶けこんでいるCO2を放出させ、地球温暖化を促進させます。



 国や電力会社は、電力の三分の一をまかなっているのが原発であると言っています。しかしこれは、原発がいったん稼働すると止めることができないからです。一日止めると、数億円の損害になります。したがって火力や水力を休ませて、原子力発電を用いているのです。実際には日本では、夏の暑いときの数時間以外は、原発がなくても電力は足りています。いま中国地方には島根原発しかありませんが、点検不備のため運転を停止しています。それでもこの夏の酷暑に電力が不足するということはありませんでした。つまり、中国地方に原発は必要ないということです。



 原発よりも、ニューヨーク市や横浜市ですでに実用化されているガス複合発電(内燃のガスエンジンと外燃の蒸気タービン複合型)にすれば、建設費用も安く、安全で、エネルギー効率もいいのです。横浜の場合、八基で原発三基分の発電量に匹敵します。



 そのほか太陽光発電など、環境にいい発電も開発されています。日本もスウェーデンのように、自分が使用する電力が何から作られたものか、ひとり一人が選べるようにすべきでしょう。



 原発の寿命は、数十年といわれます。厚い鉄の原子炉も、大量の放射能を浴びるとボロボロになるからです。現在日本には五十数基の原発が稼働していますが、そのうち十一基は三十年近く動いて、寿命を迎えています。原発は廃炉を決めても、現代の最高の技術をもってしても、解体が難しいのです。しかも解体すれば、膨大な高レベル放射能廃棄物が出ます。その捨て場所は世界中どこを探してもありません。原発が、トイレのないマンションに喩えられる所以です。



 原発は廃炉だけでなく、運転しているだけで、毎日放射能を帯びた大量のゴミが出ます。中には、放射物を入れたドラム缶の側に五時間いたら、致死量の被爆をするようなものもあります。そんなドラム缶が、すでに全国で八十万本以上溜まっています。



 一九八二年に、日本政府は六十万本のドラム缶を、南太平洋の一六〇〇メートルの海底に捨てようとしました。それに対して、グアムやサイパンの人たちが反対されたので、断念しました。深海水は、二千年かかって地球を一周します。もし捨てられていたら、深刻な放射能汚染の被害を世界中にもたらしていたところでした。

捨て場所がないので、それを青森県六ケ所村に持って行って、三〇〇万本のドラム缶を三百年にわたって管理するそうです。一体誰がその管理をするのでしょうか。それは未来の子供たちに、負の遺産を押しつけるものです。



 日本中の原発から出るゴミを再処理して発電に使うのが、青森県にできた六ヶ所再処理工場です。この工場は、原子力発電所が一年間に出す放射能の量を一日で出すというすさまじいものです。つまり青森の六ヶ所村には、いままでの原発が三六五基作られたようなものです。建築費用は、解体費用まで予定して十九兆円ということで、世界中で一番高価な建物です。しかも事故続きで、本格稼働できないでいます。別の試算では、最終的には百兆円になるだろうとも言われています。だから「原子力発電所はエコである」という宣伝は、おかしいのです。六ヶ所再処理工場が本格的に稼働すると、青森県から千葉県に至る日本の東海岸は、徐々に進む深刻な放射能汚染によって、海産物はだんだんと食べられなくなります。



 上関原発の埋め立ての説得に来られた中国電力の職員は、「原発は、安全です」と言いました。安全ならば、電力を使う広島に作ればいいはずです。わざわざ遠くに作り、危険な電磁波を出す送電線を引く必要はありません。安全ではないから、お金で人の心を買おうとするのです。



 原発にある高い排気筒からは、これ以上気圧を封じ込められなくなると、放射能を出しています。その周辺に住んでいる人たちは、知らないうちに放射能をあびて被爆しています。そのために、白血病などの健康被害があり、流産の危険性も増えているといいます。



 原発によって被爆した労働者は、45万人を超えました。原発での全被爆量の96%が、電力会社の社員でない、下請け孫請けの人たちです。電力会社は、働きにこられた農業や漁業の従事者に、5時間かけて「原発は安全である」と洗脳教育をおこなっています。そしてガンや白血病、悪性リンパ腫、骨髄腫、心臓病などの病気になっても、因果関係が証明されないからといって、労働災害などの認定を受けることはまずありません。つまり原発は、そこで働く人や周辺に住んでいる人たちが必ずヒバクシャとなることによって成立している、非人道的な発電なのです。



 瀬戸内海の周防灘に浮かぶハート型の島である祝島からも、十数名の方が原発に働きにいっておられました。その人たちが、上関に原発が建設されるという話が持ち上がった時に、村の一軒一軒に原発の危険性を説いて回りました。もし原発が安全ならば、その人たちこそ賛成派になられるはずです。



 こうして九割の島民の人たちが、十億円の保証金も受け取らずに、二十八年間にわたって原発反対の運動を続けておられます。今ではほとんどの方が、高齢者になられました。



 上関原発の問題は、祝島の人たちだけの問題ではありません。少なくとも瀬戸内海に面した、大分県・福岡県・山口県・広島県・岡山県・兵庫県・大阪府・愛媛県・香川県・徳島県の十県にまたがる広大な環境破壊の問題であり、生存権を奪われる重大な人権侵害の問題です。

どうか上関原発について、反対の表明をしてくださいますよう、お願い申しあげます。





                                    合掌 



二〇一〇年八月三十日                

東広島市  岡本法治拝

各位様

2010年10月13日水曜日

秋は静かに沈みます。

はい。最近更新の頻度が極端に減りました。

なんか色々と考え込んでしまう。

秋はそんな季節なのかも知れないね。

世間はCOP10だって盛り上がってるけど、

人間の利害、貨幣制度抜きの環境会議っていつになったら実現するのかな?

生物資源をめぐって先進国、発展途上国で話し合っているけども、

生物資源を人がどうこうしようなんておこがましい。

何故所有したがるのか。

何故独占したがるのか。

有史以来手放す活動をした人は僅か。

大人は自分達の利益が損なわれない範囲で折り合い点を探す。

そこが出発点って時点でもうそれは「地球の生き物のため」ではない。

もしもこの地球上の生命すべてにアンケートをとったとしよう。

質問はこうだ。

「どうしたら地球が住みやすくなって、何世代先の子供が安全に生きられるか。」

答えは圧倒的多数で、

「人間がいなくなればいい。」

こう答えるはずだ。

こんな気持ちで「地球の生命について」会議をしてみたらどうだ。

こんな気持ちで他の生き物たちに申し訳なく生きてみたらどうだ。

奢り高ぶるのもたいがいにしようじゃないか。

もう十分。

十分に資源は使いました。

これからは他の生き物に地球に無償の奉仕をしよう。

大それたことじゃなく、身の回りから。

地球の裏側じゃなくて、身近なところから。

世界を変えるのは学者さんでもお偉いさんでも権力者でもなく、

たった一人の謙虚な第一歩。

たった一人の一元的、全体的意識。

もちろん僕らは矛盾を抱えている。

でもそれは人間である以上絶対条件的なもので、

善人で無く賢人であれたらどんなにいいだろう。

善人はそうでない者を悪人に仕立て上げる。

結局平和なものとはかけ離れていく。

賢人は失敗から叡智を得る。

智慧は僕らを統合へ導くだろう。

連帯感。

他人事じゃない。

世の中全ての問題は自分の問題。

だから見つめたらキリが無くて、

際限なく沈んでしまう。

落ち込むとかとは違くてただ観察していると、

その事柄に対する色んな意識に自分の意識が溶け込んでいくので、

その感覚的な部分を「沈む」と表現しただけです。

どっぷり沈んでから浮かび上がると意識の拡張を感じる。

意識が拡張することで己は感覚受容体として進化を遂げる。

「何かをしようとするのではなくそうあることを受け入れるようになる。」


「こちらから行くのではなくあちらからやって来る。」


「彼岸が向かってくる。」

此岸は彼岸。

そうあれたら全てが一つになれるのに。

しかし間には大きな現実って川が流れている訳で、

今生での精進はまだまだ続く。

2010年10月5日火曜日

娘の小言5

帰宅して娘が「おかえり~❤」って走ってきてくれたら、一日の疲れなんて吹っ飛ぶぜ!

そして我が家ではたっぷりハグをするのさ!

今日一番ワクワクしたこととかたくさん話しをする!



そんな一連の流れの後に娘が一言。







「パパ!」




「ベッタベタ!」








おいっ!!!!




顔の脂は一生懸命生きてる証しだぞ!!!!