2010年10月30日土曜日

意思だろ。意思。

素晴らしきこの世界。

美しきこの世界は今不思議な世界になってしまった。

遺伝子組み換え作物をジャンジャン輸出するアメリカ。

考えなしにガンガン輸入する我らが日本。

アメリカのある会社は、自生しないように種の無い作物を作っては売り、ご丁寧にそうした組み換え種一種一種に合った薬品まである。

自分たちの利益のためにね。

日本の制度にはそんな「アメリカの利益」の為のシステムがたくさんある。

貨幣制度自体がバビロンであるため、必ず利害が発生するのが前提ではあるけれど、俺たちは何も知らずに何も考えずに消費、選択することに責任の重さを感じずにはいられない。

何か大きな敵に立ち向かうとき。

数で圧倒的に勝る敵に立ち向かうとき。

世の中を変えようとするとき。

必要なのは数ではない。

数は力か?

否、力は確固たる意志に基づいたもの。

以前日本のある政治家が「数は力だ!」なんて言ってたけど、可笑しいよね。

政治にしても運動にしても何に付けても数を恃む。

デモだってそうだ。

一見大きな流れに見えるけど中身はハリボテ。

「俺はこう思うぞ!」と言えない匿名希望の群。

色んな思いの交錯する思想の坩堝。

そんな思いが一つの方向に進むはずもなく空中分解。

俺はここでマザー・テレサとチェ・ゲバラを思い出す。

彼らは全く正反対に見えるけど、実践と人間愛に基づいた理念には一貫性がある。

マザー・テレサは世界平和の実現の第一歩は「家に帰って家族を大切にすること」だと教えてくれる。

一方、チェ・ゲバラは革命の実現には「民衆の一人一人の勝利への意思が不可欠」と話す。

両者に共通して言えるのは、身近なもの一人一人から確実な変化を促すことだ。

身近な一人一人に愛を伝えることだ。

オルターナティブに人間の生活作用に合わせてじわじわと自発的に変化する。

それは完全に独立した意思によるうねりとなって世界を動かす。

数が増えてもそれは一つの愛に向かう意思だ。

共通意識。

Oneness

民衆の海でゲリラ戦を。

何を為すにも最初はいつだって一人からさ。

匿名に紛れるな。

大義名分って仮面をとったら無秩序が笑ってる。

与えられた秩序は反対勢力を生むけど、自発的な秩序にそもそも敵はいない。

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