2010年10月13日水曜日

秋は静かに沈みます。

はい。最近更新の頻度が極端に減りました。

なんか色々と考え込んでしまう。

秋はそんな季節なのかも知れないね。

世間はCOP10だって盛り上がってるけど、

人間の利害、貨幣制度抜きの環境会議っていつになったら実現するのかな?

生物資源をめぐって先進国、発展途上国で話し合っているけども、

生物資源を人がどうこうしようなんておこがましい。

何故所有したがるのか。

何故独占したがるのか。

有史以来手放す活動をした人は僅か。

大人は自分達の利益が損なわれない範囲で折り合い点を探す。

そこが出発点って時点でもうそれは「地球の生き物のため」ではない。

もしもこの地球上の生命すべてにアンケートをとったとしよう。

質問はこうだ。

「どうしたら地球が住みやすくなって、何世代先の子供が安全に生きられるか。」

答えは圧倒的多数で、

「人間がいなくなればいい。」

こう答えるはずだ。

こんな気持ちで「地球の生命について」会議をしてみたらどうだ。

こんな気持ちで他の生き物たちに申し訳なく生きてみたらどうだ。

奢り高ぶるのもたいがいにしようじゃないか。

もう十分。

十分に資源は使いました。

これからは他の生き物に地球に無償の奉仕をしよう。

大それたことじゃなく、身の回りから。

地球の裏側じゃなくて、身近なところから。

世界を変えるのは学者さんでもお偉いさんでも権力者でもなく、

たった一人の謙虚な第一歩。

たった一人の一元的、全体的意識。

もちろん僕らは矛盾を抱えている。

でもそれは人間である以上絶対条件的なもので、

善人で無く賢人であれたらどんなにいいだろう。

善人はそうでない者を悪人に仕立て上げる。

結局平和なものとはかけ離れていく。

賢人は失敗から叡智を得る。

智慧は僕らを統合へ導くだろう。

連帯感。

他人事じゃない。

世の中全ての問題は自分の問題。

だから見つめたらキリが無くて、

際限なく沈んでしまう。

落ち込むとかとは違くてただ観察していると、

その事柄に対する色んな意識に自分の意識が溶け込んでいくので、

その感覚的な部分を「沈む」と表現しただけです。

どっぷり沈んでから浮かび上がると意識の拡張を感じる。

意識が拡張することで己は感覚受容体として進化を遂げる。

「何かをしようとするのではなくそうあることを受け入れるようになる。」


「こちらから行くのではなくあちらからやって来る。」


「彼岸が向かってくる。」

此岸は彼岸。

そうあれたら全てが一つになれるのに。

しかし間には大きな現実って川が流れている訳で、

今生での精進はまだまだ続く。

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