ガソスタでバッタを見つけた。
あ!!
あなたは「ガススタ」派?!
ガソスタ派とはガソリンスタンドを略して呼ぶ正統派スタイル。
ガススタ派とはガスを入れる為のスタンドを略して呼ぶ斬新なスタイル。
俺は断固「ガソスタ」派。
「ス」が二回続く不自然さに加えて燃料をガスと呼ぶ違和感。
じゃあ「ガスタ」でいいじゃん!!って思っちゃう。
でもこんだけ言っておいてふと思う。
んなこたぁどーでもいい。
どーでも良くないのはバッタを見つけたときの意識。
「あああぁっ!!! バッタがいるううぅっ!!!」
と、
「なんだ。バッタか。」
では全然違う。
俺の中でバッタは神を意味する。
なぜなら「命は大切」「無駄な殺生をしない」という教えをこの人生でバッタに教わった。
そんなこと学校でも習ったよ。もちろん。
でも、
知識じゃなくて意識なんだよ。
自分の奥深くの根っこに届くのって。
話は俺が小学二年生だった頃に遡る。
生き物大好きのユージ少年は通学路をきちんと守って家に帰っていた。
よく行く床屋さんのあった交差点である一匹のバッタ君を見つけた!!
もちろんこう叫んだ。
「あああぁっ!!! バッタがいるううぅっ!!!」
ユージ少年は交差点ではバッタが車に轢かれてしまうと思った。
そこでこう考えた。
「自分の都合で相手の自由を侵害したくない」
それで手で運ぶという一方的な選択ではなく、音を立てて自発的に草むらに戻ってくれないかなって言う見守る型の姿勢でバッタ君を駆り立てた。
しかしどうだろう。
バッタ君は臆することもなく交差点の真ん中で仁王立ちしている。
絶対轢かれないことを知っているかのように。
車の方がバッタ君を避けているかのように。
それでもユージ少年は一生懸命手をたたいたり足を鳴らして合図する。
「天上天下唯我独尊」
まるで自分の死期を悟っているかのようなその出で立ち。
交差点だからもちろんユージ少年も車に轢かれる可能性がある。
案の定車にクラクションを鳴らされる。
結構小心者な性分のユージ少年はその音にビックリして飛び退いた。
ここから時間軸が歪みますが気にしないでね。
僕らが生きるのは3次元だけど、意識が4次元に近づくと時間の制約が外れてくる。
つまり過去も未来も今(現在)も同じ空間に存在するっていうね。
ドラえもんのポケットの中がこれに相当します。
話を戻すが、空中でバッタ君を思う。
「踏んづけてしまう!!」
そう思うか思わないかって瞬間の意識と視覚とは時間が前後する。
実際にバッタ君を見ていないのに意識ではバッタ君が見えている。
ずいぶん長いこと空中を飛び上がってた感じがする。
だが、実際はもうすでに着地している。
だが、実際はもうすでに着地している。
バッタ君は相変わらず仁王立ちでこちらを見ている。
踏んづけてしまう前にバッタ君の終わりが意識として見える。
刹那、バッタ君が頷いたように見えた。
「私は私の役目を果たすことが出来ました。」
バッタ君の言葉を聞いた。
いや、バッタ君の言葉を見た。
いや、バッタ君の言葉を見た。
音ではなく映像に近い感覚だったから。
バッタ君はその一生をかけて一人の少年に命を伝えた。
ユージ少年は交差点の真ん中でバッタを思って叫んだ。
言い換えれば、交差点って言う俺の世界の中心で言葉にならない思いを叫んだ。
家まで大泣きで走って帰った。
心が痛かった。
人間にはどうにもならない絶対的なものを感じた。
人間にはどうにもならない絶対的なものを感じた。
思いを吐き出し続けた。
吐き出したら頭と心が軽くなった。
何かに気付くと意識が少しずつ天に帰る。
いっぱい気付いちゃってもう地面から足が浮いちゃうくらい軽くなったら、晴れて人間を卒業して無限に帰っていくのかな。
吐き出したら頭と心が軽くなった。
何かに気付くと意識が少しずつ天に帰る。
いっぱい気付いちゃってもう地面から足が浮いちゃうくらい軽くなったら、晴れて人間を卒業して無限に帰っていくのかな。
この一連の出来事は今でもはっきり思い出せるし、今でも同じ気持ちになる。
「命の大切さ」という真理の下では小学二年のユージ少年も30前の俺も同じ時間と感覚を共有している。
いつでもあの頃に帰れるし、いつになっても変わらないと思う。
バッタ君は神だった。
正確にはトノサマバッタだけど殿様なんて呼ぶにはおこがましい。
だって神様なんだから!!
この世は神様だらけ。
その神様も自分の意識から生まれる。
とすれば、この世が自分自身。
意識は無限にひろがります。
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