2010年2月22日月曜日

牛を憂い 人を考える

皆さんが毎日食べるご飯。


最近興味があって色々調べてみた。


お米なんかは田んぼからそのまま玄米で買い付けています。


生産者の顔が分かるお米を食べる。


何の心配もありません。


そこで、最近めっきり食べなくなった牛肉ですが牛さんがどうやって食卓に並ぶかご存知ですか?


俺は牧場主さんが愛情を持って出荷した牛さんを追った。


牛さんは一旦工場のようなところに集められベルトコンベアに乗せられる。


牛さんも馬鹿じゃない。


そこで自分の命に先が無いことを悟り発狂する。


そんな牛さん達を人間が手に掛けるならまだしも、なんと機械が自動的に命をとるらしい。


木の棒が自動的にグルグル回っててそこに丁度牛の頭が通る仕組みになってる。


牛さんは亡くなる刹那人間のような断末魔の叫びをあげる。


その行き場の無いどうしようもない恐怖心は体中をエネルギーとして駆け巡る。


俺はそんな牛肉を食べれなくなりました。





食べて採るのは栄養よりもエネルギー。





俺は穀物や野菜や果物なら自分で採ってきて調理できよう。


魚も釣れるだろうし、ギリギリ鳥なら手に掛けれるかもしれない…。


でも豚さんや牛さんは物理的に無理だ。


下手したら俺が殺される。


もし自分が彼らを食べるってことは誰かに手を汚させてそれを頂くってこと。


それが人ならまだしも機械だった訳だ。


どこまで人間は傲慢なんだ。


合理性を追い求めるとどこかで人の気持ちが落っこちて冷酷な負の連鎖が独り歩きする。


そんな場面を現代社会の至る所で目にする。





自分の手の届かないものを欲しない。






自分の知らないところで誰かを死ぬほど追いつめたくはない。



人として。



生き物として。



生きてるんじゃない。



生かされてるんだ。



分別をもってこの世界と接しよう。



負の連鎖ってモンスターがこの世をのっしのっし歩いているよ。

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